2008年
ミュージシャン池永憲彦とパラリンピックアスリート佐藤真海との
出会いから始まった北京パラリンピックに向けての新プロジェクト「Happy Japan Project」
そこから広がる輪が当初の目的であったパラリンピック応援を越え、様々な活動に向けて始動した。後にNPO法人となる。
「ジャンクルーズ」というポップスバンドで3枚目のアルバムのリリースを控えたVOCAL池永憲彦が
医者に喉の病気を宣告された。音楽活動の断念を余儀なくされ、バンド活動も休止した時期に過去にギタリスト役で出演した映画「あなたを忘れない」の花堂純次監督の紹介により、パラリンピックアスリート河合純一と佐藤真海と出会う。
二人の人柄に魅かれ、親しくなって行く中でパラリンピックの現状を聞く事になり「なんでこんなにすごい競技があんまり注目されてないんだろう?」と疑問を感じた池永がパラリンピック啓蒙活動を目的とするイベント開催を決意。元々の広い人脈を生かし、次の日からパラリンピックイベントを開催する為に応援者を集める。次から次へと広がっていく輪の中で、その主旨に大いに賛同した知人である神社本庁渡邊剛氏の協力により、参議院議員荻原健司氏をコーディネーターとして迎える事になり、社会的イベントとしての基盤が徐々に出来上がる。しかし、1月13日に立ちあがったHJPとしては3月30日までの道のりはあまりにもタイトで
イベントを一か月前に控えた2月には開催までの作り込みが難しくなってきた様に思えたが、佐藤真海の上司であるサントリー坪松博之氏の協力や、渡邊氏の発案による参議院議員矢野哲朗氏への陳情により急激な展開を迎える。
開催に向けての作り込みは坪松氏の協力によりまとめ上げられ、イベントは矢野哲朗氏の協力により、東京都と東京オリンピック・パラリンピック招致委員会の後援名義を取得、演出はライツの協力により出演アスリートと発起人池永の意志に沿った内容の深い演出を創る事が出来た。
パラリンピックの大々的な応援は規制により不可能と言われていたが、イベントの必要性を感じて元々入っていた案件を調整し、出演頂いた荻原健司氏や、パラリンピアンの活性化に向けてパラリンピアン協会事務局長として活動してきた河合純一、試合出場を変更してまで参加頂いた車椅子バスケの京谷和幸選手、北京出場決定前の不安定な精神状態の中、個人ではなく、パラリンピックアスリートとして身を投げ打って動き回った佐藤真海や、発起人池永を始めとする賛同者含む関係者全ての気持ちが一つとなり、不可能と言われたパラリンピックのイベントを大々的に開催する事に成功。
スタートとなった2008年3月30日(日)に行われたトーク交流イベント「夢を翔ける~パラリンピックアスリートからあなたへ~」は多くの人と企業の賛同を受け、満員御礼、ボランティアスタッフ30人と大盛況の中終える事が出来た。翌日にTBS朝ズバッで紹介され、世の中にHAPPY JAPAN PROJECTとしての実績を残した。
2008年12月9日に東京都、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会の主催の都庁で行われたパラリンピック報道写真展にHJPとして協力し、2008年12月14日に行われた箱根総会により、更なる社会的活動をすべく、NPO法人化を目指す事が決定。
2008年北京イヤーに向けて盛り上がる会場。
HJPの全てはこのイベントから始まった。
当日は参議院議員荻原健司氏にコーディネーターをつとめていただき、全門の金メダルスイマー
河合純一さん、車椅子バスケ日本代表の京谷和幸さん、走り幅跳び日本代表の佐藤真海さんらによるトークが繰り広げられた。
トーク終了後は、来場者に競技用車椅子を体験してもらったり、目隠しして飴の味当てゲームをしたり、体験用義足を付けてもらったりと、お客さん参加型のイベントを重視した。
「夢を翔ける~パラリンピックアスリートからあなたへ~」は東京都樋口課長にお墨付きを頂き、今後の活動における大きな実績となった。
集客:333人、ボランティアスタッフ30人
メディア:TBS朝ズバッ!にて放映(3/31)
後援
日本パラリンピック委員会、東京都、東京オリンピック招致委員会、
株式会社LoveRhythm
協賛
株式会社コニーシステム、サントリー株式会社、トーヨーセンサー株式会社、
日本オラクル株式会社、株式会社E-Times Technologies、(株)大洋工芸、がんこ屋(有)
協力:カンパラプレス(写真)、株式会社ライツ(演出)、Sleeping-Forest(デザイン)